富山県民謡おわら保存会
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八尾観光協会発行の公式ガイドブックより抜粋

おわらとは

一説では、江戸時代文化の頃、八尾の遊芸の達人たちが七五調の唄を新作し、唄の中に「おわらひ(大笑い)」ということばを差しはさんで町内を練り廻ったのがいつしか「おわら」と唄うようになったというものや、豊年万作を祈念した「おおわら(大藁)」説、小原村の娘が唄いはじめたという「小原村説」などがあります。
「おわら」を囃子詞に入れる民謡は全国各地にあり、「小原」に関する伝承も多くあります。八尾の「おわら」も節回しや歌詞などに他の地域の影響が見られます。
八尾はかつて街道筋の拠点として物資交易で栄えており、各地の民謡(俚謡)が様々な経緯を経て融合し、越中八尾の「おわら」を生み出したのかもしれません。

風の盆の由来

二百十日の前後は、台風到来の時節。山から野に吹き下ろす秋風が稲に害を及ぼす時節です。昔から収穫前の稲が風の被害に遭わないよう、唄や踊りで風の神様を鎮める豊作祈願が行われてきました。その祭りを「風の盆」というようです。また、「風の盆」の呼び名の背景には、富山の地元では休みのことを「ボン(盆日)」という慣わしがあったといわれます。種まき盆、植え付け盆、雨降り盆などがあり、その「盆」に名前の由来があるのではないかともいわれています。

おわらの唄

近世江戸の頃より八尾では、長唄、浄瑠璃、義太夫など謡曲はいうまでもなく狂歌、川柳や言葉遊びの短詩を掛け合う舞句などがもてはやされていたといいます。そのさまざまな言葉遊びが八尾独特の情緒を持った歌詞、歌を育んだと考えられます。
おわらの歌詞には「おわら古謡」と呼ばれるものと、「新作おわら」と呼ばれるものがあります。「おわら古謡」は昔から唄われている詠み人知らずの唄です。「新作おわら」はおわら中興の祖川崎順二が招いた小杉放庵の「八尾四季」の歌が舞踊家若柳吉三郎によって振り付けされ評判をとったのがきっかけで、新しく詠まれ始めた歌を言います。
おわらの様子

おわらの地方(じかた)

おわらに欠かせない役割を担っているのが唄と楽器を奏でる「地方(じかた)」です。
地方は、「唄い手」「囃子(はやし)」「三味線」「太鼓」「胡弓」をいいます。三味線が出を弾き、胡弓が追います。太鼓が軽く叩かれ調子を上げると囃子が唄を誘います。

おわらの踊り

おわらの踊りは、現在3つの踊りがあります。
豊年踊り(旧踊り)
古くから踊られる踊りで、老若男女問わず踊れ、輪踊りなどで親しみを持って踊られる人気の高い踊りです。後に振り付けられた踊りを「新踊り」と呼ぶことから「旧踊り」と呼ばれることもあります。
男踊り(新踊り)
男性の舞台用として振り付けられた踊りです。素直で素朴な直線的力強さの中にしなやかさを持つ魅力的な踊りとなっています。
女踊り(新踊り)
女性のための舞台用として振り付けされた踊りです。「四季踊り」ともいわれ、画家であり俳人でもあった小杉放庵が八尾の春夏秋冬を詠った「八尾四季」のために振り付けられたのが最初で、その後夏の河原で女性が蛍取りに興じる姿を現した一連の女踊りが完成しました。

おわらの衣装

おわらは旧町と呼ばれる11の町がそれぞれ独自の衣装で踊ります。各町の衣装の違いを見るのも楽しみのひとつといえます。町の中でも衣装は1種類ではなく、地方や踊り手、年齢によって、色や模様が異なります。男性の踊り手は股引に法被姿、女性の踊り手や地方は浴衣で、各町の特色ある意匠が凝らしてあります。特に男性の法被は農作業衣を象っていますが、木綿で作ってもすっきりとした踊りの形にならない事もあって、羽二重で作られた贅沢な衣装です。

おわら風の盆の行事内容

おわら風の盆の行事内容は大別すると「町流し」「舞台踊り」「輪踊り」の三つがあります。
「町流し」とは
町筋を地方の演奏に併せて踊り流すもので、おわらの最大の特徴でもあります。地方だけで練り歩く町流しもあり、昔ながらのおわらの姿がここにあります。
「舞台踊り」とは
男踊り、女踊り、豊年踊りを組み合わせて体系的に行うもので、演舞場での競演会や、各町の特設舞台等で見ることが出来ます。踊りの組み合わせ、隊形に各町が毎年創意工夫を凝らしています。女踊りの「四季踊り」と呼ばれる所作はこの舞台踊りでしか見ることが出来ません。
「輪踊り」とは
地方を囲むように踊り手が輪を作り、踊り回るもので、民謡らしい素朴さがあります。輪踊りにも各町の演技者のみで行うものと観光客を交えるものと2通りあり、日中の町周りにおける輪踊りなどは各町の演技者のみで行われます。
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